茨城に住む友人の撮った「被災地茨城」。
故郷茨城を伝えたいのです。
前回分は
こちら。
写真下のコメントは友人のもの。
リンク先では写真を撮った位置が分かる。
個人的には幸久橋が悲しい。

流されたクルマ。ちなみに日立港にはベンツの陸揚げ場がある。

発生から明日で2週間…なのに停まったままの常磐線。

English school

昭和10年完成 全長284.9米

常陸國第三宮 吉田神社

茨城最大の被災地北茨城「大津港」。流されて何もない。

瓦礫置場

2:49
多分まだ続きます。
前回思いつきで始めたものの
途中で日が暮れて中途半端に終ってしまった、東京十社巡り。
今日はその続き。
今の日本は神頼みでもしたくなることが山積してるし。
あと、本日また一つ無駄に歳を取ってしまったので、そのお祝い?も兼ねて。

まずは飛鳥山まで移動して

王子神社へ。
その名のとおり、王子という地名の元になった神社。
境内に「髪の祖神」関神社もあった。
まさに髪(かみ)様。

続いて、前回は閉門してて拝めなかった根津神社。
ちょうど結婚式の最中だった。

乙女稲荷に続く赤鳥居。
夜は薄気味悪かったけど、昼間なら情緒があっていい感じ。
油断してたら頭ぶつけたけど。
で、最近江戸の歴史を調べるブームが僕だけに襲来してるので
境内を散策しながら、今まで調べたことを色々思い出す。
その昔、門前町に根津遊郭という、一時は吉原を凌ぐほどの大きな遊郭があった。
(人の集まる門前町に色街が形成されるのは普通のことだったらしい)
が、明治の頃、近くに東京大学ができることになり
さすがに文教地区に遊郭はねぇ・・・ということで
洲崎(現在の東陽町1丁目あたり)に移転することになるが
その洲崎も洲崎パラダイスなどと呼ばれる色街として栄えたのであった。
また、稲荷神社は梅毒治癒のご利益があるということで
遊郭の近くに建てられることが多かったとか。
境内にある乙女稲荷にも遊女たちが通いつめてたのだろうか?
そういや、乙女という名前も遊郭と何か深いつながりがありそうだ。

頭の中が遊郭のことでいっぱいになりながら、神田神社へ。
ここでもまた結婚式に遭遇。
なかなかシャッターを下ろさない記念写真撮影にかなり待たされたが、しっかり拝んできた。
そういや、前回結婚式中で拝んでないところがあった・・・。

先端が曲がってることを確認。
東京タワーの上部って結構複雑な形をしてるんだね・・・。

芝大神宮。
今日は結婚式をやってなかったので拝めた。
しかし、近くの増上寺とは比較にならないくらい閑散としてる・・・。

次は富岡八幡宮。の前にちょっと寄り道して深川不動尊へ。
ここは相変わらず賑わってるねえ・・・左の異質な建物はなんだ?

壁面にびっしりと梵字が・・・。
最近出来たらしいが、ここまで突き抜けてる建物は中々ないぞ。

富岡八幡宮。
縁結びのご利益があるからか女性が多い気がした。
僕は日本の復興を祈りました。いや、ほんとに。

境内には、最近なにかと問題の多い相撲の石碑、

そして伊能忠敬師匠の銅像。
地図を扱うアプリを作ってる身としてはこちらにも手を合わせたい。

またも寄り道。
富岡八幡宮の近くにある八幡掘遊歩道へ。

ここに掛かる小さな赤い鉄橋は日本最古の鉄橋と言われる八幡橋。
見慣れない構造と菊の御紋が素敵。

さらに寄り道。

そして最後は自宅から一番近い亀戸天神社。
何度も来てるけど、何度来たって悪いことは何も無い。
拝んだ直後に戸を閉めはじめたのですべりこみセーフだったらしい。

境内の池にはサギ。置物と勘違いしてる人もいた。
(この前来た時も居たような気がする)

そして今日は亀さんを見つけられた。ラッキー。
【本日の記録】
走行距離: 62km

東京十社マップ